2005年4月20日「ケニアでマラソンは不人気種目だった」

▲キプチョゲ・ケノイ
“ケニア陸上競技の父”として広く国民に慕われている
春のマラソンシーズン到来。男子のレースに限ってみると、ロッテルダム、パリ、びわ湖、ロス、ロンドンなどを制し、今年もケニアの独壇場だ。昨年、優勝記録が2時間15分を上回った世界のマラソンレースは85もあったのだが、ケニア人選手は52レースに優勝し、その実数は46人にのぼる。これほどのトップクラスのマラソン選手がケニア一国にいることは正直驚きだ。勝負に強いだけでなく、記録的にもすごい!昨年2時間10分を切ったサブ10(テン)ランナーは世界に59人、うちケニア人選手は23名もいる。ちなみに日本は9人、エチオピアは4名、タンザニアは1人だけ。2時間08分を切ったサブ8(エイト)になると12人中8人とその割合は高くなる。日本は高岡寿成(カネボウ)ただ1人、エチオピアとタンザニアは0人だ。さらに、2時間06分台で走った7名(実数5名)は全員がケニア人選手だった。90年のランキングでは、50傑にはケニアもエチオピアもタンザニアも2?3人でその実力は拮抗していたのに今では、ケニアが質でも量でも世界を圧倒している。とにかく今のケニアからは次からつぎへと新しいヒーローが登場しているので名前を覚えている余裕もないほどだ。
ところが、これほどの圧倒的強さを持ちながら、五輪でマラソンの優勝がないのは意外だ。世界陸上も87年のローマ大会でダグラス・ワキウリが優勝しただけ。特に五輪では、ここ10年ほど、ケニア勢は優勝候補に名を連ねながら、見事に期待を裏切り続け、唯一日本でマラソンを学んだエリック・ワイナイナが、踏ん張りをみせるのみ。選手層で劣るエチオピアが確実に結果を残しているのとは大違いだ。本気でマラソンを走るなら1年の出場可能回数は2~3回だと言われる。それ以上だと選手寿命が短くなってしまう。エチオピアや日本の選手は、その貴重な1回として母国代表のレースを重要視しているのだが、ケニアの場合はどうもそうではなさそうだ。ケニア人選手の多くは欧米での賞金レースに魅力を感じているようだ。ケニアでマラソンが何故強くなったのかを知ればその理由がみえてくる。
ケニアでマラソンは不人気種目だった

▲コロン・オコーネル氏(左)
アイルランド人教師。『イテンキャンプ』の生みの親
意外かもしれないが、10年ほど前までケニアではマラソンは「トラック種目で活躍できない選手が挑戦する」不人気種目だった。80年代後半、エチオピアの複数のマラソン選手やタンザニアのジュマ・イカンガーが日本のマラソン大会で何度も優勝争いを演じる一方、ケニアの選手は前半飛ばすだけ飛ばして後半失速、姿が見えなくなるケースが少なからずあったが、このことはケニア国内でのマラソン不人気を象徴していた。
世界中どこでも、英雄が活躍したスポーツ種目がその伝統的種目となる傾向がある。エチオピアでは60年ローマと64年東京五輪で2連覇したアベベ・ビキラのマラソンだし、ケニアでは68年メキシコと72年ミュンヘン五輪であわせて金メダル2個と銀メダル2個を獲得したキプチョゲ・ケイノの1500mや3000m障害などのトラック種目がそうだった。
英国から独立して日の浅い『ケニア』の名を世界に知らしめた五輪でのケイノの活躍以来、その練習風景を間近にすることができる英雄の出身地リフトバレー州を中心に、ケニアでは走ることへの人気が高まっていた。76年に、同州イテンのキリスト教系高校に着任したアイルランド人地理教師コロン・オコーネルが、授業の合間に近隣の子どもたちを集めた陸上教室『イテンキャンプ』を定期的に開催、走ることの基本を教えた。基本に忠実な指導は実を結び、五輪や世界選手権ケニア代表の大部分がイテンキャンプ出身者ということもあった。また発展途上国ではスポーツが国威発揚の手段として重要な意味を持つから、優秀な長距離選手は陸軍の陸上チームに迎え入れられた。「頑張れば代表選手として海外に行けるだけでなく、陸軍に就職もできる」ことが分かって、この地域の陸上熱はさらに高まっていった。校長を最後に、退職した今でもイテンにとどまって指導を続けるオコーネルは「子どもたちに夢を与えたかった」と当時を振り返る。イテンの成功を目の当たりにして、近隣のケニア人教師も同様のキャンプを始めるに至り、リフトバレー州は長距離選手の宝庫とさえ呼ばれるようになった。
80年代になって陸上競技の世界では賞金レースが増加。レース主催者との仲介を仕事とする欧米人のエージェントと契約したケニア人初のプロランナーが誕生したのは89年のことだった。これまで陸上を続けたければ、陸軍の陸上チームに加わるか留学するかしかなかった選手にプロという選択肢が増えたことでトラック種目の選手層は激増したのだった。
次回は「賞金レースの魅力が強さの源」です。お楽しみに!